髙木 佐知子

私は現地に看護師として行き、微力ながら役に立ちたいと思い参加させていただきました。(派遣期間:2011/5/14~5/18)
派遣された時期は震災後2か月を過ぎた頃で、当初の支援とは異なる、復興に向けての支援であるということをオリエンテーションで聞きました。
研修を受けずの参加だったので、自分は何が出来るのか、自分のやるべきことは何なのかと不安に思いながらの参加でした。

石巻中学校の避難所は日中高齢者や幼児と母親など社会的弱者の方が多く、震災後2か月が過ぎ生活が慢性的になっているのかあまり活気がなく、おでんの炊き出しがありましたが、みなさん淡々とされているのに正直驚き、先の見えない生活に生きる意欲を持つことが出来ないのか、復興にはほど遠いように感じました。しかし、身寄りのないお一人で避難されている70歳の男性の方が発熱で受診に来られ、SSBに入所を検討していると、「おれはどこにもいかん。」と拒否。結局点滴と内服処方で症状が改善したため入所せず。ご本人様は大変喜んでおられました。その後話を聞くと、被災者同士助け合い、声を掛け合って生活されていることを聞き、この方はこの避難所の中で精いっぱい自分の居場所を探し作ってこられ、避難所が安心する場所になっているのだと感じました。

診察に来られる方は毎日のように来られ、震災後咳が治らない、夜が眠れない、血圧が高くなった、蕁麻疹が出たなどストレスによる症状を訴える方が多く、又いつ診療所が無くなるのかと不安に感じておられた方もいらっしゃいました。
事実、診療所は無くし地域の医院にかえしていくことが私たちの使命であり、日赤のミーティングで避難所は居心地が良くなってはだめなんだ、早く震災前の生活に戻らないといけないのだという事に支援の難しさを痛感しました。

私たちは4泊5日という短い期間に目の前にある問題に最善を尽くし何とかしようと地域の保健師さんなどに相談をしました。しかしそれは私たちが感じた一部分の問題であり、保健師さんが抱えている問題の中では優先順位は低いのかもしれない、他のエリアではもっと重大なことがおきているかもしれないと思いつつ、保健師さんに相談するしかなく自分の無力さや又短期間で入れ替わる支援に無責任と感じたのは事実です。

復興ということで支援は縮小傾向になることは間違いありませんが、被災者お一人お一人が少しでも前向きに生活できるよう支援は長期的に必要だと感じました。最終的に社会的弱者の方が切り捨てられないような、又その先に孤独死などが起きないような支援を望みます。

しかし人というのは環境や風景にすぐに慣れるというか、当初はガレキや倒壊した家などを見て言葉をなくしましたが、日が経つにつれそれが当たり前の風景に感じてしまう自分がいました。それが良いことなのか、悪いことなのか私にはわかりません。ただ自分が感じた正直な気持ちは忘れず、経験したことは伝えていこうと思います。参加させていただき満足感や充実感はあまり感じることは出来ませんでしたが、この短い期間にそれぞれ同じ思いで参加した仲間と出会えたことに感謝いたします。これからの看護師人生の中でプラスになった事は間違いありません。ありがとうございました。


▲写真は5月15日に、石巻中学校中庭で行われた炊き出しの風景

▲炊き出しは東京でレストランを経営している方々でした