神戸市立医療センター中央市民病院
感染管理室 立溝 江三子

感染管理の視点から

東日本大震災発生から1週間が経過した2011年3月18日17:00、兵庫県ボランティア先遣隊メンバーの一人としてJR神戸駅前からバスで宮城県に向かって出発した。翌朝、宮城県松島町に到着後グループに分かれてそれぞれ担当する避難所に向かった。

私の担当した避難所の地域は、津波によってJRの陸前富山駅は破壊されていたが、流された人家はなく被害は比較的小かったが、ライフラインが寸断されていることから住民は避難所で集団生活を送っていた。避難所の松島町手樽地域交流センターは、3年前に廃校になった小学校の建物で、約50名の方が避難されていた。ライフラインは、3月18日に電気が復旧していたが水は給水車に頼っている状況であった。プロパンガスの使用は可能で、各家庭の冷凍庫・冷蔵庫から持ち寄った食材を主婦らが調理して温かい食事を提供していた。この避難所は、小さな集落の自主運営であったが、私たちが訪問した3月19日午後に東松島町から約30名が異動して来られることから自主運営から町の運営に変更になった。



私の役割は、避難所の状況を把握し、感染症看護の視点でアセスメントすることであった。避難所生活で最も重要なことは、感染予防と感染を拡大させないことである。各部屋は清掃が行き届き清潔に保たれ、高齢者以外は食堂(2階)で食事ができるよう環境が整えられていた。しかし、集団生活で水が自由に使えない状況では手指衛生が最も問題であると考え状況の把握を行った。トイレ後の手洗いは重要である。水をかける人がいなければ両手をこすり合わせて洗う事が出来ず片方ずつ指先を洗う程度であった。もし、ノロウィルスの感染が起これば瞬く間に広がってしまう事が危惧された。蛇口のついたタンク式の水入れ(阪神淡路大震災の時に救援物資として頂いた記憶がある)があればこの問題は解決できるのだが、それは見当たらなかった。もし、入手が可能であればより良い環境を整えられることを話した。調理室に伺うと、窓際に使用したまな板がずらりと並べられ天日干しされていた。主婦の知恵で衛生管理がされていた事を賛美した。色々な所に工夫は見られたが、アルコール擦式手指消毒剤はどこにも設置されていなかった。救援物資で手指消毒剤は当然避難所に届けられていると考えていたが3本しかなかったので、調理室・食堂・玄関に設置した。数があれば各部屋の入口やトイレの前にも設置したいところであった。この避難所では、感冒症状の人が2人居るとの事で感染を予防するにはどうしたらよいかと相談を受けた。昼間は、外で片付けをしているが就寝時はかなり咳が出ているとのことであった。感染予防と同室者の睡眠を妨げないために、可能であれば2人を別室にすることが望ましいこと、2人にマスクの着用を勧めることを伝えた。また、感冒症状の2人の手指消毒は感染を予防する観点からとても重要である事を説明した。



自主運営では、保育園の園長さんをされていた女性が実質マネジメントをされていた。物資がない環境で出来るだけの工夫をし、規律正しく協同生活を送っておられたのは、元保育園園長さんのリーダーシップと、皆顔見知りの小さな集落の人達との人間関係・信頼関係が日頃から構築されている成果だと感じた。私たちが帰る直前に、水道が復旧した。これで、きちんと手洗いができる環境になったと安堵して帰途につく事ができた。


▲2階の食堂と天日干しされているまな板