森岡 智衣

東日本での地震と津波が発生後、テレビから流れるニュースから想像以上の被害を知り、看護師としてボランティアで支援できないかを考えた。兵庫県看護協会が募集している事を3月末に知り、早速連絡を取り、今回、4月15日から4月24日まで、気仙沼での災害支援活動の一員として、参加させて頂く機会が頂けた。

出発当日、関西広域連合兵庫県医療チームとしてのオリエンテーションが行われたが、地震発生後から一ヶ月以上たったとはいえ、被災地の情報が十分ではなく、自分がどんな事を行えばよいのか具体的にイメージする事は困難であった。支援ナースとして精一杯頑張ろうという意気込みと共に、緊張と不安の入り交じった複雑な心境で現地入り。事前に、避難所で活動中の地元看護師が自宅に帰れない状況を少しでも改善できる支援が、活動場所である階上中学校での第一目的である事は、オリエンテーションと頂いた資料でだいたい理解はしていたが活動を終える前任者から、限られた時間のなかでの引き継ぎと現地の被害を目の当たりにしたとき、ようやく自分が何をすべきかが明確になって来た。震災による混乱の中、何を求められているのかを、限られた情報の中から予想をする事はとても困難なであり、現地に行って自分の目で見、声を聞いてではないととても難しいのだという事をとても実感した。
現地で行った活動は主に以下の3つである。

  1. 支援ナースの一人が20時まで、居残りを行い、現地看護師が帰宅できる環境を作る。
  2. 避難所(4カ所)で生活されている方の健康チェック(声かけ、健康相談、受診が必要な方の継続観察など)
  3. 階上中学校区内の地域巡回(戸別訪問にて、住民の在住確認及び健康相談、要観察者の報告)

その他、ゴミ集め、物資の配給、掃除などその場で必要だと感じられる業務を進んで行った。(ほとんどの業務は、避難所での生活者及び、本庁からの応援職員で業務の分担を行っているため、私たちがその業務を奪ってしまうのではなく、あくまでも明らかに今必要ではないかと思われる事のみ。)

声かけ、健康チェックでは高血圧、糖尿病、精神疾患など慢性疾患が悪化していないかを確認や、感染症状のある方の早期発見、感染拡大予防を心がけて行ったが、何よりも大きな意義を持つ活動は、被災者が私たちに話してくださる事に耳を傾ける事ではないかも大きな役割の一つであると感じた。多くの方が被災したときに何をしていたか、自分たちは何を失ったのか、悲しみ、将来への不安、そしてこれからの希望を話してくださった。兵庫県看護協会からきている事を知ると、ほとんどの方が阪神淡路大震災と今回の震災の事を照らし合わせて、自分達も神戸のようにいつか復興できるか、復興にどのぐらい時間を要したかを質問された。具体的にどのぐらいの時間を復興に要したかは定かではなかったが、現在の神戸の状況を説明すると、自分たちもいつか神戸のように復興する事を信じて頑張るなどの前向きな声が聞かれ、その力強い言葉に大きな勇気を頂いた。また、私たちへの労いの言葉や、疲れていないかなどの声かけを頂き、短期間の滞在で、自分達が出来ることにも限界があり、活動が終わると震災がテレビの画面の中でしか分からない生活に戻って行く自分に、なぜこんなにも暖かい言葉をかけて下るのだろうと、申し訳なく、いたたまれない気持ちになることが何度もあった。



災害支援ナースの活動を通して、活動に参加したという事だけでなく、それらを組織し支えている環境を知る事、被災者を支援するという同じ目的を持った他業種との交流、そして、被災者の思い、被災地での体験、現地の状況など現実を伝えて行くことなど、関わった全ての事柄が、私にとってとても貴重なものであり、これから看護にも大きな影響を与えるであろう事を確信している。

最後に、被災地の一日も早い復興と、平穏な生活が戻る事をお祈りするとともに、この機会を与えてくださった、兵庫県看護協会の皆様、現地での活動に携わってくださった多くの方々に深く感謝しております。